山頭火

「噂の旅人」、山頭火編です。



漂泊の歌人・・・種田山頭火(たねだ さんとうか)・・・本名、種田正一

明治15年、山口県防府の大地主の旧家に生まれるも、
事業の失敗から、一家離散・・・。
その後、自らも家族を捨て、やがて行乞、托鉢の旅に身をおく

それは、自分自身を探すための旅・・・。

自分とはなにか?生きるとはなにか?
人はなぜ生まれて、なぜ死ぬのか?
どこから来て、何を成し、どこへ行くのか?

今・・・痛切に、問いかける・・・。

彼が残した多くの日記、そして句を読むとき、
少しずつ・・・その答えに近づくことが出来るかも知れない・・・。


私が好きな山頭火の句
行乞記(九州地方)
行乞記(山口県)
東行記
山頭火は眠る(熊本にて)
味取観世音堂
其中庵
山頭火の生家を訪ねて
山頭火は眠る(生家近く)
管理人宛メール


簡単に山頭火の生涯をみてみましょう
明治15年12月3日 1歳 山口県佐波郡(現在の防府市)に生まれる
明治25 11 母が自宅井戸の投身自殺(父の妾を苦に・・・)
明治37 23 早稲田大学中退、帰郷
明治39 25 父と共同にて、酒造業を始める
明治42 28 結婚・・・翌年、長男誕生
大正2 32 俳誌「層雲」に投稿、
雑誌「澪標」で山頭火のペンネームを使う。
大正5 35 酒造業破産、父は逃亡・・・
知人を頼り、妻子と逃げるように、熊本へ
古書額縁店「雅楽多」(がらくた)、開業、
熊本の文芸誌「白川及び新市街」に投稿
大正9 39 離婚・・・妻子を熊本に置いて東京へ・・・東京市役所職員に
大正11〜12〜14 44 退職・・・関東大震災に遭遇、・・・熊本へ戻る。
泥酔し、熊本市電を止める。報恩寺に強引に連れて行かれれ出家、後に味取観音堂の堂守となる
大正15 45 九州各地を托鉢、、行乞、放浪の旅へ
昭和2〜6 50 中国地方、九州地方を行乞、
熊本で同人俳志「三八九」(さんぱっく)発行し、
「行乞記」を連載
昭和7 51 山口県川棚村(現在の川棚温泉)に住まう。
山口県小郡にて、其中庵に住まい「三八九」増刊、
「其中日記」、句集「草木塔」
昭和9〜11 55 九州各地、行乞、広島、〜関西〜名古屋へ
「山行水行」「雑草風景」「旅日記」「柿の葉」発行。
さらに、近畿各地、関東から、甲信越、北陸へ行乞。
昭和13 57 山口へ帰郷・・・其中庵が廃墟同然になったために
知人の勧めで山口市湯田温泉街に住まう。「風来居」(ふうらいきょ)
昭和14 58 「孤寒」発行、「旅日記」、「其中日記」増刊
近畿、東海、木曽へ行乞
昭和14〜15 59 体力の衰えを自覚し、知人を頼り四国松山にて
「一草庵」に住まう。「鴉」発行、「草木塔」増刊、
「松山日記」
同年
中国、九州、四国へ行乞・・・生涯最後の旅へ・・・
昭和15年10月11日未
59 松山に戻り、静かに生涯を終える
上記参考資料は、大山澄太著「山頭火著作集1〜4」、(昭和43〜47年発行)です。

山頭火の最期

漂泊の歌人、山頭火は死期を悟り、昭和14年12月、四国松山に渡り、道後温泉近くに「一草庵」を結ぶ。
そこに訪ねてきた記者が問う

「あなたのような、非生産的な人が増えたら社会は困りますねぇ・・・」

お国のために尽くすことが強いられた頃だ。

山頭火は歯のない口をあけて笑いながらこう答えたという

「ぼくは社会のイボです。小さなイボなら気にならないでしょう。時には愛嬌も添える。
そのイボだと思ってかんにんしてください・・・」

翌15年10月10日夜、一草庵で句会が催された。
山頭火は人が集まる前に、夕方から泥酔・・・別室で高いびきをかいていたという。
皆は起こさずい、つものとおり11時頃まで会をやって散会した。

山頭火はそのまま永久の眠りにつき、翌朝4時ころ、絶命した。56歳。

山頭火は、熊本市横手の安国寺に、妻、吹野、一人息子、健と一緒に眠っている。

(平成18年10/10、熊本日日新聞の記事より)




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