鹿児島県の石橋(2)




鹿児島市内の石橋


潮見橋
    潮見橋(志保みはし)   
(2005/6/18 & 2005/8/5 取材)

明治23年に架橋され、かつて指宿方面の主要道路として機能し、現在も生活の道路の一部として
機能している他に例を見ない程、素晴らしくも美しいこの3連の石橋・・・。

公共工事(河岸工事)のため、解体、撤去されようとしています。この地区の住民の方々の撤去反対の声も虚しく、
予算不足の説明で移設保存の計画もありません。

悲しいかな・・・
この目に収めておく最後の瞬間になろうとしています。このまま記憶の彼方に消えゆく石橋なのか?
(後述参考)

鹿児島市、谷山町・・・谷山港入口

息をのむ程に素晴らしい3連のアーチ構造

河口近くにあり、赤い凝灰石が美しい3連の目鑑橋です。

潮見橋撤去の報に関して

かつて5大橋を誇り日本一の石橋の宝庫とされた鹿児島県鹿児島市・・・・。

市内中央を流れる甲突川には、明治期に種山石工、岩永三五郎により架橋された
5つの巨大な石橋がありました。

いずれも川幅を満たす複数のアーチをもった石橋ですが、このような石橋は川底に橋梁を落としていて
川の流量が増すにしたがって、流れてきた倒壊建築物の残骸や倒木などが、橋に止まり、
川の流れを堰き止めてしまうという危険性も早くから指摘されています。

過去にも5大橋の撤去、架け替えの立案、計画が示されていましたが、
そのたびに市民の反対運動のために白紙に戻されたりしした経緯があります。

平成5年夏に襲った大水害にて甲突川が氾濫!2つの貴重な石橋(新上橋、武之橋)
が崩壊し失っただけではなく、犠牲者を含む甚大な被害がありました。
(このときの水害土砂災害による死者120名以上)
石橋の存在が甲突川の氾濫の原因のひとつにあげられることを否定する要素は残念ながらありません。


かつて、昭和32年長崎県諫早の大水害(死者5百数十名)でも、諫早眼鏡橋↓が川の氾濫を増長しました。
  


昭和63年熊本県御船町の大水害でも、崩壊直前の御船橋が川の流れを一時堰き止め
数名の死者及び甚大な被害をも招きました。

石橋に限らず川底へ橋梁を落す2重3重の構造の橋がこのように水害を増長しやすいという
過去の教訓を生かせぬまま、現在でも同様な危険がささやかれている橋があります。

鹿児島県鹿児島市の潮見橋もその1つで、災害防止のために上流から進めてきた河岸工事を完了する為、
潮見橋が撤去されるという報を当HPLINK先の方より受け、また7月21日の鹿児島の地元新聞にても確認しました。

国土交通省や県の土木部河川課、危機管理防災課などに出向き話も聞いてきました。

石橋を愛する者の一人としては敬愛する石橋が被害拡大の原因になる恐れがあろうとは、
非常に悲しく残念に思います。だからこそ、石橋の存在が尊い生命、財産を奪うことは断じてあってはなりません。
議論は長々と出来ます。しかし災害は待ってはくれません。

過去の例から数年に一度の頻度で起こっています。
(鹿児島県の平成16年度の土砂災害は2537箇所でした・・・県土木部統計)

私にも家族があり子供もいます。何よりも災害で真っ先に犠牲になる子供たちを災害から守らなくてはなりません。

かつて石橋つくりを手がけた石工たち・・・その偉業をたたられえた石工たちが現在に生きていたら
上記の事態に関して何を語るのでしょうか?

(注)
当HP管理人は水害の主原因が石橋だけにあるとは断じて考えません。
また、都市開発、河川事業など公共工事の是非を問う意見を言うものではありません。
当然、橋の撤去を直ちに推奨、肯定したりする者ではないことは
当HPの「石橋探訪」をご覧の方ならわかっていただいていると確信いたします。

2005/9/2 AM2:14


洗心橋

鹿児島市内、慈眼寺内


市民の憩いの公園でもある慈眼寺の散策コースにあります。


石橋公園の3つの石橋

鹿児島市の石橋公園に移設、保存された石橋です。
明治期に招かれた、肥後の種山石工棟梁、岩永三五郎が架けた石橋です。

かつてこのような橋が現役の石橋として、甲突川に5つ架かっていましたが、
平成5年に市内を襲った大水害にて上新橋、武之橋2つが流失・・・
残った3つの石橋を保存のために移設されました。

  西田橋 高麗橋
  桜島を望んで
   

玉江橋
 


石橋探訪 FILE


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