植木町・・・田原坂古戦場

2005/11/24取材



熊本市北部、植木町・・・

国道3号線、九州自動車道が縦に縦断する現在でも交通の要所です。
「植木すいか」で知られる程、「すいか」は全国的に有名な特産品です。

さらに観光名所「植木温泉」と並んで、「史跡田原坂(たばるざか)」は
悲しい歴史の史跡として知られています。


田原坂(たばるざか)
日本最大にして最後の内乱の地・・・



薩摩軍、官軍戦闘の図・・・・


明治10年、西郷隆盛らが率いる薩摩の軍勢は南下する官軍を迎え打つ為に北上し、
熊本に進出、熊本城にこもる官軍先方隊を薩摩の軍勢が取り囲み
薩摩軍の総攻撃が始まり、ここに西南戦争が勃発します。

(この後に熊本城天守閣は炎上しました)

さらに薩摩軍は北進!熊本城にこもる自軍の救援の為に南下した官軍本部隊、
乃木少佐率いる官軍部隊は苦戦!

向坂の戦いでは、薩摩兵に連隊旗まで奪われ乃木少佐は自決を試みるも、
自軍の兵士らに止めれれ思いとどめます。

さらに戦いは高瀬(玉名市)にて戦闘!
その後、戦いの舞台は、吉次峠、田原坂、山鹿・・・へと移ります。



中でも、明治10年3月4日〜20日と
17昼夜に及ぶ西南戦争最大の激戦が「田原坂」でありました。



   
田原坂頂上付近・・・弾痕が生々しく残った民家の蔵・・・(現在は資料館です)




       
  田原坂を死守しようとする薩摩軍と、官軍が睨み合ったであろう鈴麦通り付近





   官軍は、この豊岡目鑑橋を通り薩摩軍勢が待ち受ける激戦の田原坂へ。


   
一の坂、二の坂、三の坂・・・・峠というよりは緩やかな丘陵の坂道ですが、

官軍が南下進軍するために馬車を率いて大砲や弾薬などの兵糧を通すのは、
道幅が広いこの道しか無い!・・・。

実は、この道は江戸時代初期に熊本城城主、加藤清正が
城を守るために造った敵の誘い道で、

図らずも、明治の時代に薩摩軍の砦となり、
官軍の行く手を阻み、大いに苦しめた道です。



この道を行くには、
両側に待ち受ける薩摩軍の攻撃を受けながら進まなくてはなりません。

官軍がわずか3キロ足らずのこの道を通るために、
17昼夜もの戦闘が繰り広げられました。
この半日数は、みぞれ混じりの雨だったそうです。


その後、薩摩軍は敗退し御船、八代、人吉・・・と、戦いの舞台は
南下しながらも激しく交戦し、

明治10年9月24日・・・最後には、鹿児島の城山にて西郷、桐野、村田などの戦死・・・

これにて日本国での最後の内戦は終わりました。




田原坂にて・・・薩摩軍の美少年の像
薩摩軍北上の折に駆り出され、また兵志願した15歳くらいの少年も多数いて、
この戦闘に加わりました。


田原坂(たばるざか)

   ♪ 雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 ♪

         ♪ めてに血刀 ゆんでに手綱 馬上豊かな美少年 ♪

             ♪ 山に屍  川に血流る 肥薩の天地 秋寂びし ♪



         注・・・めて(馬手)・・・右手のこと、

             ゆんで(弓手)・・・・左手のこと





田原坂での官軍の戦死者、6923名!薩摩軍の戦死者7198名!・・・

この戦闘の犠牲になった殉難者も29人・・・

と、ここに記録されています。



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